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10月に入るとどうもいかん。 ちょっとしたヘマがあれば、棚にでて覗きこんでしまう。 姫柿は、今日こそ色づきはじめたかナ。 姫柿大好き人間さんたち、どうもご苦労さん。 よくぞ、夏の水やりをのりきって、実を肥大させてくれました。 みなさんに感謝状を差しあげたいくらいだ。 しかし、いいよね。 こうして毎日;呈二憂できるのだから。 何でこんなに楽しいのだろう。 エッ、そんなこと考えているより、黴を眺めていたほうがいいって……それはこもつとも。 話は実にもどるが、実が色づきはじめるのは、だいたい気温20℃を境としています。 このあたりを基準に、考えておいてもらいたい。 大地に立つ蝦夷松よ、北海の厳しい自然の中で、風雪に耐え、生き抜いてきた、いま盆上にある蝦夷松たちよ。 蝦夷松は、その名の通り日本では北海道にだけ自生するものであり、内地には自生は見られない。 おじいさんの大切な鉢の木界に登場したのは明治30年代頃と言われています。 当時の北海道は一般の通念では今日の感情からすれば、ヒマラヤか南米ほどにも精神的距離のあった地域であります。 未知の世界からの優れた素質をもった素材の出現は、おじいさんの大切な鉢の木入の期欝と感動をもって迎えられたことと思われる。 は明治44年に北海道に渡り、各地の蝦夷松地帯を歩き、自生状態を調査し、おじいさんの大切な鉢の木の素材を探したが、苦心にもかかわらず優秀な素材の入手は容易ではなかったと伝られています。 大正6年頃、国後から素材の採取の道が拓け、活況を呈した、と三国われる。 後に北海道長官の理解ある計らいもあり、地元の人にとっては有利な収入源ともなり、両者相まって葉材は豊富に供給され、特に大宮おじいさんの大切な鉢の木村は別名蝦夷松園とも言われる程、毎年現地に出張して買い付け、大量に供給し、培養、作品の創作に専念した。 |