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けれども、そののちイギリスは自国の紡績産業の発展をはかりはじめた。 イギリス政府は、国産羊毛の輸出を何度も防止しようとしたが、密輸は急速に広がっていった。 しかしながら、牧羊業はばく大な利益をもたらし続けたので、耕地はどんどん羊の牧場に変わっていった。 当時の辛辣な表現によると、「羊が人間を食いつくす」状態であった。 こうして土地を失った田舎の人たちは、急速に成長しつつある織物工場に職を求めなければならなかった。 一七六八年雁リチャード・アークライト[イギリス人。 一七…T九二年]の紡績機械を導入したことによって、新たな問題がおこった。 羊毛の生産が機械化された紡錘の処理能力に追いついてゆけなくなったのです。 いうまでもなく、これ以上羊をふやすための牧草地は残っていなかったけれど、羊の群れを増加させるか、あるいは外国産の羊毛を輸入するかしかなかった。 このころは重商主義の時代で、後者の解決策はほとんど世論にアピールしなかった。 |