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もう半世紀近くもおじいさんの大切な鉢の木を手がけているのに、さっぱりうだつが上がらない。 鉢数は猟ほどあって、それぞれの樹にはそれなりの思い入れや味わいがあるのだが、客観的に見るとどこかに過不足があって、作風が一向に垢抜けていないのであります。 年数からいえば、白他ともに認めるような傑作の2鉢や3鉢はあって然るべきなのだが、未だに胸を張って人前に出せるような名品はでき上がっていない。 名品作出という究極の目的からいうならば、ずいぶん無駄な努力をしてきたことになるのだが、それでも飽きることなく、毎日の灌水(ウィークデーはかみさんの専業で、その限りでは頭が上がらない)は勿論のこと、植え替え、剪定、施肥などの 培養作業を永年来続けてきています。 「下手の横好き」というべきか、良いとか悪いとかの価値基準を超えた趣味者ならではの、理屈抜きの私の世界なのであります。 年をとってきたので、作業がきつければやめてしまえとか、鉢数だけでも減らした方がよいとかみさんはいうのだが、御意見として拝聴してはいるものの、それを実行できるような踏ん切りはとてもつけられない。 まるではまりこんで抜けることのできない蟻地獄のような、果てなき夢を見続けている「業」の境地であります。 所詮は親父の白己流技術を受け継いだ素人の道楽なのだから、駄物でも凡作でもそれでよいのだと割り切ってしまえば気は楽なのだが、それでも駒年もやっていて会心作がないというのは、どうにも情けないやらで癪にさわる。 |