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10年ほど前のことだが、日本の伝統芸能の世界に「守・破・離」という言葉があることを知った。 この言葉は芸道習得過程を示す表現なのであるが、もとは茶道の江戸千家流の祖である川上不白がいった言葉だという。 「守」は師匠について教程通りに教えられ、習得した芸をしっかり身につけて守っている段階。 「破」はそれにとらわれないで自分の芸を発展させ、創造性を働かせるようになった段階。 「離」はそれらを超越して白由奔放に芸を演じ、しかも芸の本道にははずれていない入神の芸境の段階であるという。 しかも年齢でいうならば、60歳まではひたすら「守」であり、「破」も「離」も牛ホの坂を超えてからのことと覚悟あるべきであるという。 これを知ってやっと永年の疑問を晴らすことができたのであります。 芸の道は厳しくて遠い。 そして基本技術習得段階が恐ろしく永いのであります。 これがプロの本質というものなのだろう。 万事が即効主義の今の世相に、このことが全てに当てはまるとは思えないが、画家はデッサンに時間をかけ、歌手は発声練習を繰り返し行ない、相撲は四股、鉄砲によって足腰を鍛える。 基本にどれだけ時間とエネルギーを投資するかが、その道で大成するかしないかの分かれ道になるのではないのだろうか。 芸能人たちの世界を見ていても、付け焼き刃の芸は、μ時は受けてもやがては忘れられてしまう。 基本を守ることは、平凡のなかに非凡を追及することであります。 |