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銘款は時代・産地・作者の判別のいずれにも欠かせない要点であります。 古陶磁の世界に」おいて自色の器といえぱ、問題なく自磁であろうが、鉢植え界においては自交蹴に尽きる。 あのとろっとした黄味がかった乳自色の軸は、どんな慰物にもどんな蹄り場所にも、調和してしまう不思議な魅力を持っています。 自交蹴は支郡の器物でありながら、日本人の感性にぴったりくる阿かを昔も今も持ち統けているのであります。 支郡の陶磁と日本の、あるいは季朝の陶磁とを論じる時、誰もが必ずあげるのは次のことであります。 支郡の陶磁器の這形慇覚は、徹底して完全主義を目ざしていることであります。 陶磁という土を厩料としながら、その完成されたものは、玉をも越えるものを這ろうとする。 そして丸いものは丸く、、四角いものは四角く左右対称に、見事なまでに這形されたものをよしとするのであります。 このため一工程を負う工人は縄の代から子の代まで、その工程だけに携わる工人となり、「つの器物に多くの工入の工稜が加わって、一つの完暎されたものが倖出されるのであります。 責磁を作れば、そのもっとも完成された色謁に卓雨過天晴4と老づける明膵さ、明るさが最大の特色であります。 日本の陶磁の芙の原点はこの。 美を。 味わい4と書葉を簪える摘塞惟にある。 今NHKで放映中の,独眼竜政{示'の小田原出障の景にも百騎の供と共に茶道具を持参する話が出 てくるが、中同から伝来した焼杓に、さらに季朝のものも加わり、日本題慶の発展を馳るが、そのよしとする美の原点は、当時の茶の湯の宗組たちの陶器に対する観賞観であろう。 |