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ケルト入のあいだでは勺輔五〇匹から三〇〇匹の牛を所有することは、王侯にふさわしい富とみなされていた。 いっぽう、農民たちは、ずっと少ない家畜しかもたなかったことであろう。 バターやチーズの製造がケルト人の牧畜者によって最初に「発明された」のか、あるいは以前にケルト入の土地を所有していたスカンジナビア人や東欧州の種族が、これらの乳製品の製造について知っていたのかどうかはわからない。 ただし、東洋の牛飼いたちは、バターはともかく、チーズの製造については知っていたと思われる。 バターの脂肪は低温下でだけ固まっているので、亜熱帯の太陽のもとでクリームをかきまわしてバターにすることはむずかしいことであったろう。 書らにアッカド人、アッシリア入、バビロニア人やエジプト入の言葉にはバターを表す単語は見」あたらない。 |