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平民には穀物だけではなく、闘技場で殺された動物の肉が無料で支給された。 さらに、カルタゴ人からの賠償として北アフリカから何千匹ものヒツジが輸入されたので、羊肉の価格は非常に安くなりました。 いっぽう、牛肉は自分で牧場か、またはよい「コネ」をもたない者には、手に入れられないものとなりました。 いなか 田舎の入たちは、ほかの地区の人びとほど肉を食べなかった。 小作人の所有している食肉用動物は、すべて借地料の支払いに当てられるのがふつうであった。 小作人は白分たちの生産物を自由に販売することは許されていなかった。 ひき割り穀物に一きれの牛肉のかたい脂身や羊肉の脂肪を加えたもの、またはこれらをカブといっしょにオートミルに混ぜた料理が、ゆたかな献立とみなされていた。 この状態は、中世のあいだじゅうほとんど変わらなかった。 牛の取り引きは、在俗聖職者の地位にある地主や、ぬげめのない商人たちによって独占され、安く買いたたいた動物をほかのところで高く売りさはき、莫大な利益を得ていた。 やがてカロリング朝時代に、これらの悪行は取り締まられることとなりました。 カール大帝[七四ニー八一四年]時代に、ふつうの大きさの雄牛一匹の価格は約二〇ソリドゥスフリドゥスはコンスタンチン大帝が発行した・ーマの金貨]と決められた。 一ソリドゥス、または一シリング銀貨の購買力は約五ポンドであった。 その相対価値、たとえばギリシアのドラクマ銀貨、ローマのデナリウス銀貨、カロリング朝のソリドゥスやケルンのペニッヒ銅貨などは、一つの標準価格として、一匹の雄牛やそのほかの家畜と対照することによって、きわめて簡単に計算し、かつ現代の貨幣価 値に換算することができる。 |