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一人の番人1ふつうは奴隷1が一定の時間をおいて卵をひっくり返すだけの単純な作業であったが、この仕事は一日の労働時間を十分にみたすものであった。 ギリシア人は、小アジアや北アフリカへの遠征で、いろいろなタイブのニワトリをもち帰って、エジプト人以上にその卵をたいせつにした。 そして、卵を産むめんどりを食用に供することは、その鳥がよほど老けるまで、しなかったといわれる。 ギリシア入は、そのころ一時間一キロワットについてニペンス以下の電力は使っていなかったことを考えると、固い年とったニワトリを料理するのに必要な燃料代は、鳥の値段よりもはるかに高価であったと思われる。 予言者と目覚まし時計としてのおんどり 古代イランの宗教[桿火薮]の創始者、ゾロアスターが言ったように、古代社会のすべての人びとは、二日の聖なる布告者」です誇り高いおんどりを尊敬した。 ゾロアスターの信奉者、インドのバルシー教徒は、こんにちでもおんどりを太陽の象徴として崇拝しています。 したがって、かれらはニワトリを食べない。 インドの神話のなかで、おんどりはその永続的な性的興奮のゆえに、色事のスポンサーとして登場してくる。 英語やその他のヨーロッパの言葉のなかで.ニワトリの名称は性的なかかわりをもっており、「コッキー」という言葉には、うぬぼれや過剰などの意味がある。 ギリシア人は、おんどりをけんか好きのシンボルと見なしています。 伝説によると、二羽のおんどりの戦いのようすは、アテネ人がペルシア人との苦しい戦いに勝ちぬくための士気をふるいたたせるのに効果があったといわれています。 ペルシア人との最稜の戦争(紀元前四七九年)に勝利をおさめたことを記念して、アテネやその他のギリシアの都市で、まいとし闘鶏試合がもよおされた。 この悪習は、のちにヨーロッパのほとんどの民族によって受けつがれた。 ローマ人は、おんどりの鋭いつめに鉄のけづめをつげた。 その結果、闘鶏は命とりになるような試合となりました。 イギリス王ヘンリー八世は闘鶏を熱烈に愛好して、このスポーツにかんする諸規則を設定した。 |